平成24年3月25日(日)
第1部 13:00~ / 第2部 15:30~ ※2部構成
会場 滋賀県立文化産業交流会館 イベントホール内特設会場「長栄座」
入場料 無料(自由席)※入場整理券が必要
主催 滋賀県、財団法人滋賀県文化振興事業団
後援 滋賀県教育委員会、長浜市教育委員会、守山市教育員会、米原市教育委員会
助成 文化庁
企画制作 財団法人滋賀県文化振興事業団
地域伝統芸能ステージ
「朝日豊年太鼓踊」(米原市)
「古高の鼓踊」(守山市)
「湖北八日市太鼓踊り」(長浜市)
「磯まぬけ踊り」(米原市)
曳山囃子(しゃぎり) 特別ゲスト 原田 直之 |
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朝日豊年太鼓踊 【国選択無形民俗文化財】
伝説によると、今から約1300年前、大原郷(おおはらごう)を開墾した際に始まったといわれる雨乞い踊りで、賤ヶ岳で戦勝の時、羽柴秀吉(はしばひでよし)が、陣鉦(じんじょう)・陣太鼓(じんだいこ)を打ち鳴らしたところ、大雨が降り出したので、それ以来、鉦や太鼓を用いるようになったとも言われている。
氏神の八幡神社の境内で、つま折笠(おりがさ)に緋(ひ)こて、カルサン袴(はかま)の踊り手たちが神に祈り、自然の恵みに感謝し、腰の太鼓を打ちながら踊る、素朴な民衆芸能で国の無形民俗文化財に指定されている。 |
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古高の鼓踊 【滋賀県選択無形民俗文化財】
古高の鼓踊りは、古来干ばつの時に雨乞いを祈願する時や、慈雨に恵まれた時にお礼参りをする際に、大将軍神社に奉納する踊りです。
鼓踊りがいつ頃から始まったのか確かなことはわからないが、その歌詞の内容や踊りに使う道具から推察すると鎌倉時代らしい。当時庶民の間で踊られていた田楽踊りに由来するものと考えられる。
踊り歌は19曲ある。行列を組み、道行き歌で大将軍神社境内へ練りこみ、輪になって、最初にお礼踊りを踊り、その後何曲か小踊りを踊った後、暇踊りで終わる。 |
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湖北八日市太鼓踊り 【長浜市指定無形民俗文化財】
太鼓踊りは江戸時代末期、当地が干ばつの時、雨乞い踊りとして踊られたのが始まり。白く化粧し、頭にやまどりの羽でできたシャグマを載せた男児8人が、小太鼓を胸に抱え、大太鼓の周りを跳ねたり舞ったりして演奏する。
平成4年以降、八日市も少子化の影響や、指導者の高齢化により長く途絶えていたが、平成21年9月23日、湖北町八日市の大町神社で17年ぶりに太鼓踊りが奉納され、子どもたちが優雅で威勢の良い踊りを披露した。 |
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磯まぬけ踊り 【米原市指定無形民俗文化財】
起源は、今から遡ること400年程前の江戸時代の頃から始まったと伝えられている。この頃、打ち続く飢饉や、流行病(はやりやまい)が蔓延して子どもたちやお年寄り、また働き盛りの若者たちが亡くなったそうだ。遠い昔はこういった病気や災害が起きると、悪魔の仕業ではないかと思われていた。何とかしてその悪魔を追い払わなければと、踊り始められた。
この「まぬけ」とは、悪魔の「魔」を抜く意味で、「まぬく」が「まぬけ」に訛って「まぬけ踊り」になったと言い伝えられている。お盆には亡くなられた人を供養する意味で、今日でも「磯まぬけ踊り保存会」が中心となって「まぬけ踊り」がおどられている。 |
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(財)長浜曳山文化協会 三役修行塾
平成2年3月、長浜曳山祭の保存・伝承について、子ども歌舞伎の振付、太夫、三味線(長浜ではこれを三役という。)を地元で養成することを目的として開講しました。
現在では、長浜曳山祭をはじめ、米原曳山祭、垂井曳山祭などの子ども歌舞伎に塾生が太夫、三味線として出演しています。また、女性の塾生は、長濱ゆう歌舞伎、曳山博物館子ども歌舞伎教室などに出演しています。 |
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曳山囃子(しゃぎり)(米原曳山まつり)
米原の曳山まつりは鎮守湯谷神社の祭礼に長浜の祭りを見習って、江戸時代の後半期に始まったといわれている。
米原曳山まつりは弐百余年の歴史を持ち、区民の熱意によって今日も盛大に催されている。それを盛り上げてきたのは、子ども狂言とともに祭囃子である。
米原では囃子のことを「シャギリ」といっています。各山組ではシャギリ保存も米原曳山まつりの重要な伝統の一つであると考え、保存会を結成し、その山組に伝わる独自の「シャギリ」を伝えている。 |
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原田 直之
プロフィール(日本コロムビア株式会社)
昭和17年 福島県相馬地方浪江町に生まれ育つ。
昭和41年 「民謡原田会」を結成する。
平成02年 「全国ご町内音頭」50万枚ヒット、日本コロムビアゴールデンデスク賞~プラチナ賞受賞。 |
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