瀬田唐橋は天下の名橋 11月12日に唐橋で読者交流会 - びわ湖芸術文化財団 地域創造部


 「湖国と文化」では、発行母体・滋賀県文化振興事業団の公益財団法人化と「夢キラリ文化基金」創設を記念して、読者交流会を開くことになりました。テーマは「天下の名橋『瀬田唐橋』」で、11月12日(火)午前11時から大津市唐橋町、中ノ島にある料亭あみ定で行います。平日の昼で、しかも参加料1000円(昼食代・資料代)を頂戴しますが、瀬田唐橋についての画期的な試みになると期待しております。ぜひ、ご参加ください。
 このほど、対談していただく講師の松浦俊和・大津市埋蔵文化財調査センター所長と地元唐橋町にお住いの千歳(せんざい)則雄・前野洲市立図書館館長と打ち合わせをしました。当日は時間の許す限り、お二人に橋談義をしていただきます。
 お二人の話で興味深かったのが、橋には根っことこずえ(元と先の意)があることです。瀬田唐橋の場合は、元は瀬田橋本町(現瀬田2丁目)のある東詰で、先が唐橋町側の西詰となります。
 東海道や東山道の橋なので、畿内側、京都に近い西詰の方を元だと思っていただけに意外でした。古代、東側に近江国府が置かれていますが、その関係かもしれません。川の両側にそれぞれ、橋本の市、粟津の市が開かれましたが、粟津の市はいつか寂れました。橋本の市はその後も栄え、街道筋として成長していったようです。一方、石山側は、東レなどの企業が進出して発展した「企業城下町」。町としては新開地になりますが、交通の便もよく、にぎわうようになりました。逆に橋本町の方は、鉄路(JR)の駅から遠く、さらに、国道1号などができたことなどで、通過点の一つになってしまいました。
 唐橋と、京都・大阪府境にかかっていたという山崎橋、宇治橋が「三橋」です。山崎橋の場合は大山崎と反対側の南側にやはり橋本町があります。一方、宇治橋の場合、大阪生まれの筆者が平等院を拝観するときには京阪電車を利用するのが常だったように、やはり東詰にある京阪宇治駅から橋を渡って平等院方向に向かうのがメーンストリートになっています。西詰方向にあるJR宇治駅周辺は現在もあまり、にぎわっていないようです。宇治橋の場合、果たして橋本があるのかどうか、橋のどちらが元か先かはわかりませんが、昔から橋の両方がともに栄えるのは難しかったようです。
 唐橋が架けられた川幅200mの瀬田川が日本の東と西を分ける歴史の要地であった時期もありました。交流会では、多角的な視点を交えて唐橋の意義と今後を顕彰したいと思います。

 対談などのあと、午後2時半ごろから約1時間、お二人の案内で唐橋とその周辺の見学も計画していますので、楽しみにしてください。
 ご参加いただける方は、電話・ファクス・メールなどで滋賀県文化振興事業団の「湖国と文化」交流会係まで、お名前と住所、連絡先をお願いします。参加料は当日、会場でいただきます。
 締め切りは11月5日(必着)です。077-522-8369またはファクス077-522-9647、メールkokoku@shiga-bunshin.or.jp で、ぜひ、ご連絡ください。お待ちしています。

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