未来に生き残るのは活字 - びわ湖芸術文化財団 地域創造部

 

 月記といいながら、月遅れとなってしまったことをまずお詫びします。言い訳になりますが8月末は10月1日発行の秋号の編集・仕上げの時期に当たっていて、予想以上に手間がかかり、月記を書くゆとりと気力がなかったのです。
 と言いますのも編集はすべてパソコンの画面を見ての作業になるからです。原稿を見ながらあれもこれもと考えると時間ばかりくってしまい、目が痛くなり、果てはくらくらとして作業をストップせざるを得なくなるのです。筆者から来た原稿はまず、全文を画面に移し、編集にかかります。分量を見て、大体は字数をカットするだけで済ませることが多いのですが、細かく読んでいくと、字や句読点が違っていたり、時系列の順番が違っていたりします。そうすると1時間や2時間はすぐに過ぎてしまいます。朝から文章を読みづめだと、頭や目がぼやっとなってしまうことも再三ではありません。かつては「残業」も苦ではなかったのですが、六十路をはるかに過ぎた現在、頭の回転以上に目の負担の方が大きくなり、視力の面で作業のスピードが鈍ってしまうのです。
 機械オンチであった筆者はかつては原稿派でした。新聞社に入社した当時は、ご存知の人は少ないと思いますが、ハガキより大きめのわら半紙状の原稿用紙に鉛筆で原稿を書いていました。タテに3行に分けて「2日、大津/市の県文化/振興事業団」などと1枚に15字づつ書きます。15字というのは当時、新聞の1行が15字だったからで、50枚書くと50行の記事になるのです。その後、1行15字取で3行、または5行の原稿用紙に変わりましたが、基本は書き(手書き)原稿でした。
 そのうちにワープロ時代になり、筆者もかなり遅くではありますがワープロで打つようになりました。ワープロで打った方がきれいに見える面もありますが、合理化・スピード化のために新聞社側がワープロを支給し、体制を組んできたからです。だんだんと鉛筆がキーに変わり、今ではパソコン抜きでは作業が進まなくなりました。はがきや手紙も、みみずのはったような内容よりはパソコンの方がきれいです。
 以前はワープロ(パソコン)で打ったものを印字化して点検していました。印刷文を見ながら文章を練ったり、直したりしていたのです。ところが慣れというのは恐ろしいもので最近は印刷文を見ても、次の文賞が出てきません。真剣になれないのです。画面を見るとスイッチが入るのか、何とか、文章がまとまってくるのです。
 そういうことで、画面を見る時間がだんだんと長くなり、その分、目を痛めています。
 ただ、すべてがインターネット化している現在、過程はどうであれ、活字の詰まった一冊の本が完成するというのは救いかもしれません。
 友人とよく話すのですが、デジタルカメラの普及でぼう大な写真が撮れるようになり、パソコンやCD-rに簡単に収録できるのですが、それがいつまで有効かはわからないといわれています。ワープロのフロッピーをいつのまにか使わなく(使えなく)なったように、今の機器を10年先も利用できるか疑問です。音源もそうなっています。
 世の中の進歩は必然ですし、その流れのなかで私たちも恩恵も受けている訳ですが、やはり、人類何千年かの歴史を持つ活字がこの先、一番安全かもしれません。

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